サン福山

琉装、和装着付け体験

矢張り、外国人は今尚、腹切り(切腹)とチャンバラの強いイメージで日本を見ているのか。

矢張り、外国人は今尚、腹切り(切腹)とチャンバラの強いイメージで日本を見ているのか。
外国からの観光旅行で、沖縄入りする人々の中には。其れも、アメリカやヨーロッパ系の男性は特に。世界を行き交う今でも。日本を侍の国と勘違いしている人は意外に多い。矢張り、私が思うには、強さの象徴のようにして日本に憧れを抱いているのかもしれません。その為か、当スタジオにキモノ エクスぺリンスと来られても侍の装いを強く希望なさる方は意外に多い。確かかに、スタジオには当然、和装のブライダル衣装も用意されておりますので。羽織袴の着用はじゅうぶん可能なんですが。お支度の時間などを考えれば。また、体験用にご用意してあります男性用のお衣装のほうが、サイズ色々柄も豊富でスピーディーに着脱がしやすいという便利さがあります。それと、また、琉装、和装用にも両方に活用できるように致してありますので男用のお着物は、琉装用も和装用朋違いはそでぐりだけで。あとは、ほぼ同じと考えて構わないと思いますが。それに、琉求の長い歴史に見れば、琉球も元々は矢張り士族の世界で成り立つ國だったのですよ。確かに琉球は、何時の時代もシナと幕府の間でどうにか生き延びてきた國でしたが。そのような小国であっても小国は小国なりの階級や制度はきちんとあったわけです。然し、其れらを更に、より良く定めようとしたのが尚眞王でした。その為、其れまでに、琉球侵略を繰り返し企て巧妙な手口で高麗 朝鮮から琉球王府に潜り込んでいた賊共は。(1477)年。尚眞王の即位と同時に八重山に一斉に島流しとなり。そにために、おやけ赤針率いる一揆が八重山で1500年に起きるのです。然し、その一揆を、尚眞王は。王軍と、足利幕府が琉球の監視役として派遣する源軍の大将 中野玄雅(中曽根豊見親)軍とともに八重山を征伐し。よって、この時代に尚眞王は、王府に努める士族にいたるまでの刀を一斉に取り上げ。刀の代わりに士族は、(はちまち)といわれる色分けした冠で階級を定めました。尚眞王は、二度と、一揆や戦の無い平和な琉球國の國作りをめざしたのです。その後、刀を持たない琉球国には護身用として伝えられたのが香港のカンフーとよく似た空手文化だと云われています。如何でしたか、歴史に見る、琉球王府時代の歴史豆知識。沖縄を知る上での参考になりましたら幸いです。それでは、今日はこれまでまた明日

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