気の合う、仲間同士での旅は最高。
今朝方まで降り続いた雨も、昼前には時折ぱらつく程度となり。この分だと、沖縄に観光で来られた方達も予定通りに観光を楽めそうだとさぞ胸をなでおろし観光を楽しんでおられることでしょう。何故なら、ここ、2、3日しとしとと降り続いた梅雨に見舞われて。特に、シュノーケル等の天候に作用されやすい海でのレジャーは取りやめということにもなりかねない。その為、急遽、予定を変更して雨も防げる室内体験施設へと飛び込んでみえる観光客の方は意外に多い。其れも、昨日の場合、その前のお客様を済ませてまだ衣装の後片付けも終わらない時分の五時少し前に。此れから、五名で琉装体験をとおっしゃるのです。然し、そのすぐ2時間後の7時には、また何時もの方の着付けが待っていますから。そのため、五名様ということもあり少し躊躇しましたが思い切ってお受けることにしましたら。なんと、以外にも、仕事がスムーズに捗り。一時間以上の撮影を楽しんでいただくことができましたのでほっとしました。また、なにしろ、そのあとの残り時間ぎりぎりまで、皆でお茶を飲んで黒糖食べてワイワイガヤガヤがまた一番楽しいですからね。
実は、私は、琉装体験後のお客様とは務めてお茶をご一緒にするようにしていますね。当然、お茶請けには,沖縄産の黒糖を用意して。また、そこには私なりの思いがあってのことですが。つまり、当家の先祖の歴史を伝えたいからなんですね。然し、其処には、まったくの奢り等という様なもにではなく。子孫として、当たり前に、琉球王府の歴史に深くかかわった先祖の歴史を少しでも正しく伝えられたらとのその様な思いがあってのことなんです。それが、どの様なことかと申しますと。実は、今から、遡ること350年前。22歳という若さで 三柱製糖機 を発明し、それまで以上に黒糖の生産を高め、琉球に砂糖奉行所を設置させる程、貿易盛んにして琉球王府や幕府にまで多大な貢献をした眞喜屋親雲上實清は、事実、私の直径とするご先祖様なんです。その経緯で我が家の屋号は砂糖(サーター眞喜屋)。また、障りを考えて余り多くは語れませんが。実は、当家には、代々 神唐琉という直系一族を意味する秘伝の馬術が存在します。その馬術 を、先祖實継は上國之時 御前にて披露。褒美に将軍より鹿毛馬を賜った経緯から(馬ヌイマージャン(眞喜屋〉)。の屋号を繋ぎ持つ眞喜屋親雲上實継は。帰国後、年寄職として王子たちに馬術を指導。琉球王府の馬の扱い一任を命じられた實継も私のご先祖様なのです。其れに、我が家を先島につなげた四島の主と云われた先祖たちに至るまで。また、当家の先祖の歴史を更に遡れば、其処には、壮絶なまでの琉球の歴史やさらなるものまでが浮き彫りとなって来るが。知れば後には、虚しさすら覚える歴史的経緯まで真実のものとして伝える必要までは私は感じてはいないが。それに、このような問題は繰り返す歴史が必ず解決してくれると私は信じているのだ。唯、子孫として、そして、今の時代を生きる者の責任として。琉球沖縄のイメージを高め続ける意味でも。我が家の先祖たちの歴史が活用されることを私は寧ろ望でいる。其れに、この歴史は誰かが伝え続けなければ確実に風化してしまうそのことを私は寧ろ恐れている。