サン福山

琉装、和装着付け体験

またまた、カップルさん御来店!!

またまた、カップルさん御来店!!
またまた、カップルさん御来店!!
本日、お写真掲載のお二人は、大阪からのお客様。ご主人のほうが、還暦を迎えるにあたり沖縄旅行を計画なされたそうですよ。其れに、
大阪といえば河内、河内といえば河内源氏。琉求の歴史を長年研究する私が知る限りでも。沖縄は、琉求と云われた時代から源氏の里として伝えられていますから。つまりは、この沖縄の島々を中継地にして海外貿易を繰り広げ、鎌倉幕府や室町幕府の創設にも繋げたほどに、莫大な富を得ていたのが蘇我に繋がる源氏でもあったんですね。其の確かな証として、琉球の源ゆかりの地に、室町幕府が掲げた万国津梁之鐘はその事実を伝えていること等 。真実が明かされて十年もすれば知る者がいないはずはありませんからね。また、云えば、琉球の古書 中山世監家譜の最初に登場する天孫子25世とは、即ち、舜天王統を立ち上げた 舜天王為敦の父 鎮西八郎為朝公の(神号 )を天孫子25世 と明らかな証の上で伝えているのです。その事実は、遡れば、沖縄の家の何所の台所にも祀られる火の神は決して火の用心の火の神ではなく。所謂、日本の始まりの、邪馬台國より先には倭奴國が 日本の神話に明らかな火の神 蛭子によって立ち上がった事実から。云えば、天孫降臨蘇我とともにです。その為、後には、二人の間に生まれた子孫たちは卑弥呼や推古天皇たちに至るまで神号の頭には子孫である証として天孫子を名乗っていた事実から。蘇我の時代からの落とし子達の子孫が琉求にも、与那原天孫子、今帰仁天孫子というようにして枝を広げていた事実が琉求の古書に知るところであります。
何故突如、私が琉求や琉球の歴史の話をしているのかと申しますと。じつは、私が、かねがね何となく思っていた事として。
勿論、倭の始まりは九州からですので少し話が飛躍しますが。云えば、清和天皇の子の貞純親王の子の経基の子孫たちが。大和源氏、摂津源氏、美濃源氏、そして河内源氏へと源氏は子孫を広げていくのですが。為朝公は、河内源氏の中でも、八幡の大菩薩として源が祀る。八幡太郎義家の孫、六条半官為義公の八男でもあるのです。即ち、同じ源氏でも、河内源氏 八幡源が為朝公の出所ということになるのです。
本日、大阪からのお客様をお迎えして。それとなく、琉球の歴史を培ってきた先祖たちの事が思われた序に。何故に、沖縄出身者が、万博の遥以前から、大阪方面へ挙って集まるのか?吸い寄せられるようにあるのははたまた遺伝子のなせる業なのかしら?と考えてみたりするのです。その為、今日のお客様には俄然サービスしちゃいましたーではまたねー

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